東京高等裁判所 昭和59年(ネ)953号 判決 1985年1月30日
控訴人 東京都
右代表者知事 鈴木俊一
右指定代理人 西道隆
<ほか三名>
控訴人補助参加人 笠原登
右訴訟代理人弁護士 山下卯吉
同 竹谷勇四郎
同 金井正人
被控訴人 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 町田正男
同 林千春
同 栃木義宏
同 渡辺千古
同 寺崎昭義
同 武田博孝
同 南木武輝
同 北沢孜
主文
原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
《証拠関係省略》
理由
一 請求原因1(一)、(二)、2(一)、(二)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 そして、《証拠省略》によれば、被控訴人は、昭和五七年五月一四日午後三時三〇分ころから、丸の内警察署警備課室内の一隅にある一号取調室(約二メートル四方の大きさの部屋で、廊下側は普通のコンクリート壁、他の三方は金属パネルのはめ込み式壁で、その一方に右警備課室内に通ずるドアがあり、中央付近には、廊下側の壁に接着してスチール製の机が置かれており、これをはさんで、右ドアの側に取調官である佐藤巡査部長の坐るスチール製の椅子と、その反対側に被疑者である被控訴人の坐るスチール製の椅子が置かれていた。)において、右椅子に腰縄の末端部分を結ばれた状態で着席し、佐藤巡査部長の取調べを受けていたこと、笠原巡査部長は、同署警備課公安係主任として右翼関係を担当していたものであるが、右警備課室において執務中、電話に出るため席を離れることになった佐藤巡査部長から被控訴人の監視を依頼されたので、右取調室内のドア(約一〇センチメートル位あいた状態になっていた。)付近で立ったまま被控訴人を監視していたこと、すると、しばらくして、被控訴人が両手で目の前の前記机をたたき始めたことが認められる。
三 右に関連して起きた出来事について、被控訴人は、原審において、「自分が何の気なしに右手と左手の各人指し指で交互に『コトコト』と五、六回机をたたいたところ、笠原巡査部長が一歩近づいてきて、『うるさい、やめろ』と言いながら同時に右手の平で自分の前額部の真中あたりを突いてきた。突然だったので、ちょっと体がのけぞって首が後にがくっとなった。それに対し、『暴行したな、氏名、階級、所属を言え』とどなると、笠原巡査部長は非常に興奮したようになって、『何、貴様……』というようなことを言って、再度右手の平で同じ額のところを前よりかなり強く、がんと突いた。自分は『告訴するから氏名、階級、所属を明らかにしろ』と言った。そのあと、笠原巡査部長はもとの入口のドア近くに戻って監視を続けた。それから少しして、佐藤巡査部長が戻ってきた。」旨の供述をする。そして、《証拠省略》によれば、被控訴人は、その後、引き続いて取調べにあたった佐藤巡査部長に対し、笠原巡査部長から暴行を受けたから告訴すると述べたり、取調べを終って警備課室を出るとき笠原巡査部長の姿を認めて「告訴する」と叫んだり、同日弁護士への連絡を依頼し、同月一七、一八日に面接に訪れた自己の弁護人にも暴行を受けたことを告げ、弁護人からは被控訴人の担当検察官及び丸の内警察署長に対し、謝罪及び責任者の処罰等を求める同月一九日付の通告書が送付されたこと(なお、被控訴人はこれに関連して、担当検察官から事情を聴取されたが、黙秘したこと)が認められる。
しかしながら、原審証人笠原登は、「佐藤巡査部長の電話の終るのがちょっと長いので、ドアをあけて見ていたところ、後で机を『どんどん』とたたく音がしたので振返ると、被控訴人が両手の指を伸ばして交互に机をたたいていて、それがかなり大きな音だったので、『やめなさい』と注意した。しかし、なおたたき続けるので、二、三歩近よって更に『やめなさい』と言いながら両手を上から抑えて制止した。すると、被控訴人は、自分をにらみつけて、『暴行だ、お前は誰だ、暴行で訴えるから官職氏名を名乗れ』と大きな声で言った。自分は『そんなことをいわずに静かにしなさい』と言って、すぐもとのドアのところまで戻った。しかし、右手で被控訴人の前額部を強く突いたことは全くないし、被控訴人に近づいたのも一回だけである。」旨の、被控訴人供述にかかる暴行を全く否定する供述をしている。そして、前掲各証拠によっても、取調室の外へは机をたたく音、笠原巡査部長の制止する声及び被控訴人のわめき声がきこえただけで、まもなく佐藤巡査部長が取調室に戻ったとき、笠原巡査部長にも被控訴人にも、格別激昂、興奮した様子はみられず、その後の取調中も被控訴人から暴行の具体的状況を告げられたり痕跡を示されたことはなかったし、前記のような取調室の状況でありながら、被控訴人の頭が壁にぶつかったとか、椅子が倒れたような事実もなかったものと認められる(被控訴人の供述によるも、取調室の後の壁と被控訴人の後頭部とは、被控訴人がのけぞると頭がぶつかる位の間隔しかないところ、笠原巡査部長から頭を突かれ、二回目はことに強く突かれて、首がのけぞるようになったというのに、後頭部が壁にぶつかることはなかったという。)。
以上のような諸点を総合対比し、また、被控訴人が机をたたいたからといって、被控訴人の取調べには何ら関与しておらず、たまたま一時、監視を頼まれたにすぎない笠原巡査部長が、いきなり被控訴人の供述するような暴行をし、しかも被控訴人の言辞に驚戒するどころか、かえって立腹してさらに強い暴行を重ねるに至るとは考え難いこと、他方、被控訴人が、警察権力に対して根深い敵意を抱いていることはその供述によっても明らかであり、本件に関しても、「最初の暴行で非常に驚いた。こわくなった。」と述べながらも、とっさに、前記のとおり「氏名、階級、所属を言え。」というような言辞で対応しており、前記通告書及び本件訴状の記載や本訴における慰藉料の請求額からみても、弁護人に対しかなりおおげさな被害状況の報告をしていることが窺われるものであることも勘案して、証拠関係を検討すると、本件における被控訴人の主張事実が、取調室内における暴行という、被控訴人にとって立証困難な事実であることを考慮に入れても、前記笠原証人の供述を不自然なものとして一概に排斥することはできず、前記被控訴人の供述は、いまだその主張事実を認めるに足りる心証を惹くに至らないところといわざるを得ない。そして、他に被控訴人主張にかかる暴行の事実を認めるに足りる証拠はない。
四 そうすると、その余の点について判断するまでもなく被控訴人の本訴請求は理由なきものとしてこれを棄却すべきである。
五 よって、被控訴人の本訴請求を一部認容した原判決は失当であるから、原判決中控訴人敗訴の部分を取消して被控訴人の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横山長 裁判官 尾方滋 浅野正樹)